無言 鋸鍛冶 三代目 順太郎 光川大造

「我、一生、鑿にありて」

五月も後半に差し掛かり新緑が夏を感じ始める頃、三木市にある親子で営む鑿鍛冶屋さんに足を運んだ。迎えてくれたのは大柄な体で穏やかに話す息子さんの大内俊明氏。「奥が作業場です。親父が鍛接してますよ」。
「作業場」へ足を踏み入れると、少しタイムスリップしたような感覚に陥る。炭を全身に巻きつけ、黒い光から炭を放つ炉、全ての角が丸くなった台座。それらを見つめるかのように格子窓から光が射していた。小さい頃に忍び込んで遊んだ工場の風景を思い出した。

その中で淡々と地金を熱する姿「三代目大内光明氏」御年七九歳。挨拶を交わしたあと、何も語らず次から次へと箸を炉の中へ。鑿鍛冶で言う鍛接作業とは、熱した地金に鋼をつけ、そして赤くなった鉄を叩いてかすがい(鑿の刃)と実の部分を成型すること。大内鑿鍛冶では温度を上げすぎると金属組織が荒くなってしまうため、炉の温度があまり高くなりすぎないようにするという。

「子供の頃はトントン叩く音や、研磨の音が子守唄代わりでいたね」と休むことなく働き続けた親父さんのことを話す息子さん。たまの休みも研究熱心な親父さんは、ひとり自宅近くの倉庫で顕微鏡を覗き鉄の金属組織の分析に勤しんだ。その部屋へ親父さんが案内してくれるという。

中には机の上に顕微鏡がひとつ。そして壁一面には長年調べ続けている鉄の結晶や粒の写真が貼られていた。「これがね…」とひとつひとつ差し話し始めた。さっきの作業場とはうって違い饒舌に快活に、話したいことが次から次へと出てきて抑えきれない感じだ。話す姿からも「好き」という感情が溢れ出ていて、聞く側も気分が向上してくるのがわかる。

「永切れするための鑿を造る鉄とはこういうものだよ」と覗かせてくれた先にはビシッと揃った粒子。使う職人さんたちが、いつまでも使いやすく砥ぎやすい、そんな鑿を造っていきたくて始めた鉄の研究も「鍛冶同様、行き着く先はまだ見えない」と力強くおっしゃった。

二十歳で戻ってきたのち、神戸の震災の後、真剣に稼業を考えたという息子の俊明さん。「親父の意見とぶつかることもあるけど、親子だからこそ言い合えることができる。もっともっとぶつかって良いものを造っていきたい」。切れ味に安定があるとの使い手からの声は現役を続ける親父さんとの二人鷹を雄弁に語っているように感じた。

株式会社 大内鑿製作所

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